燃えろ!僕のお年玉小宇宙(コスモ)
もし子供時代にBGMがあるとしたら、僕ら世代の男子にとって、その主題歌は十中八九『ペガサス幻想(ファンタジー)』だろう。『聖闘士星矢』という五文字は、まさに「精神と時の部屋」のスイッチだ。ひとたび押せば、テレビにかじりつき「ペガサス流星拳」の真似をしていた、あの中二病全開の時代へ一瞬で戻れるのだから。
今でも覚えている。最も血が滾ったのは、やはり十二宮突破編だ。毎日学校へ行き、休み時間のたった10分間で交わされる議題といえば「昨日は何宮まで進んだ?」、「乙女座(バルゴ)のシャカ、強すぎてチートだろ?」といったことばかり。あの全員で一つの物語に没入していた感覚は、情報過多の現代では二度と再現できない贅沢だったと思う。その後のポセイドン編やハーデス編も、すべてはこの宇宙(コスモ)の延長戦だった。 そして僕らのお年玉は、母ちゃんの必殺技「預かっておいてあげるから」という結界(バリア)をなんとか回避し、残った僅かな金額も、その大半が聖衣(クロス)のプラモデルへと姿を変えていった。

たぶん『論語』を除けば、『聖闘士星矢』が生涯で初めて完走した長編大作ですね。(しかも本当にお小遣いを貯めて買いました)
半分の僕:夢中になったのは「瞬」じゃない、あの忌々しい「チェーン」だ
英雄たちがひしめく聖域(サンクチュアリ)において、クラスメートにはそれぞれの「推し」がいた。星矢のゾンビのような不屈の精神を崇める者もいれば、氷河のクールな王子様気質に惹かれる者もいる。だが、僕の趣味はいつも少し変わっていた。僕が一番好きだったキャラクター、それはアンドロメダ星座の瞬だ。
先に断っておくが、泣き虫で、何かあればすぐ兄さん(一輝)に助けを求める「甘えん坊」な瞬が好きだったわけではない。僕が夢中になったのは、彼の武器――そう、「ネビュラチェーン」だ。なんてこった、あの攻防一体のチェーンは、反則級にかっこよかった。 半分の僕は今になって思う。子供の頃の嗜好として、あんな「緊縛」の性質を帯びたアイテムに執着するなんて、ちょっと危険な目覚めだったんじゃないかと。
だが、もう半分の理性的な僕が今分析してようやく分かったことがある。僕が好きだったのは、チェーンをスパイダーネットに変えたり、野獣の罠に変えたりする「戦略性」だったのだ。他の連中が拳と拳で殴り合っている時に、瞬だけは戦術的な布石を打っていた。あれは単なるバトルじゃない、知略に満ちた攻防戦だったんだ。

瞬の優しくて泣き虫だけど、絶体絶命に追い込まれると狂気的に爆発する性格……あれって結局、彼が冥王ハーデスの器であることの伏線だったんですよね。だから僕としては、彼は(乙女座ではなく)魚座なんじゃないかと信じてます。(本人も魚座ですが異論は認めません)
もう半分の僕:ごめん、選んだのは「ブラジャー外付け」の聖衣(クロス)だった
自分の戦術眼には誇りを持っているが、今の視点で振り返ると、残酷な現実と向き合わざるを得ない。当時僕が一番愛した聖衣(クロス)は、ピンク色で、胸部のデザインがどう見ても……「ブラジャーを外に着けている」ような代物だった。
幼少期の僕の美的センスは、社会的な期待から完全に外れていたようだ。もし僕が聖域(サンクチュアリ)に生まれ、1歳の儀式である「選び取り(抓周)」で、アンドロメダのブラジャー聖衣を鷲掴みにしたとしたら……両親の顔は一瞬で石化しただろう。そして親戚たちに引きつった笑顔でこう言うしかなかったはずだ。 「あはは、この子は……立派な『胸(ブラ)』を選んだね……うん、縁起がいいぞ。そうそう、『胸(キョウ)』を掴んで、『凶(キョウ)』を吉に変えるって言うしね……」

どうせ『幽☆遊☆白書』でも蔵馬が一番好きだったんでしょ? 否定させませんよ。「鞭(ムチ)」が出てくるキャラには無条件で惹かれる性癖なんですから。
「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」が、「オフィスで死んだ心」に変わる時
しかし、聖衣だのチェーンだの小宇宙だのといった純粋な幻想は、大人になり社会に出るとともに消え失せた。
僕は紫龍のように、挫折するほど強くなり「盧山昇龍覇」を放って決着をつけることなんてできない。もっとも、最大の理由はオフィスでいきなり服を脱ぎ捨てて半裸になれないからだが(セクハラ防止法があるからね)。

だが今、毎日燃やしているのは小宇宙(コスモ)ではなく、僕の「肝臓(過労)」だ。目の前に立ちはだかるのは黄金聖闘士ではなく、仕事を丸投げし、「絵に描いた餅」ばかり語る上司たちだ。 かつて胸を熱くした「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」という響きが、いつしか僕の人生において「オフィスで死んだ心(バン・ゴン・シー・シン・スー)」という韻を踏んだ悲しい言葉に変わってしまった時……僕は切実に願うのだ。 一輝兄さんのような不死鳥が飛び込んできて、この理不尽な世界に向かって「お前は、死ぬべきだ!」と言い放ち、鳳翼天翔ですべてのクソみたいな出来事を灰にしてくれないかと。 ※注:中国語の原文では、「聖闘士星矢(シェンドウシ・シンシー)」と「辦公室心死(バンゴンシー・シンスー/意味:オフィスで心が死ぬ)」の発音が非常によく似ており、韻を踏んだ言葉遊びになっています。

最悪なのは、上司たちがみんな自分のことをアテナだと思ってることですよ。バッチリメイクで着飾って、自分は動かずに「私のために命懸けで戦いなさい」って命令してくるんですから(笑)。
だからこそ問いたい:君の心には、まだどの聖闘士が住んでいる?
もし今、誰かに「一番好きな聖闘士は?」と聞かれたら、僕はあの危険なチェーンへの幻想をそっとしまい込み、笑ってこう答えるだろう。「天秤座(ライブラ)の童虎かな」と。
そう、僕はもうアンドロメダに恋焦がれた少年ではない。今の僕は、聖戦を生き抜き、滝の前で世の無常を見つめ続けてきた童虎に近い。かつてのイケメン青年から脱皮し、紫色の肌をした小さな老人になってしまった彼だ。見た目は穏やかだが、その胸には聖域全体の知恵と重みが隠されている。

あの時代を生きた男たちの心には、たぶん一人ずつ「自分だけの聖闘士」が住んでいるはずだ。それは若き日の無謀な自分の投影かもしれないし、あるいは未来への憧れかもしれない。 さて、あの頃何も知らず青臭かった君へ。君の心の中にいたあの聖闘士は、今もそこにいますか?
僕は琴座(ライラ)のオルフェが好きですね。あの冷淡で厭世的な表情の裏にある悲しい物語、それは自分自身を許せない後悔そのものです。いつかまた熱い仲間たちが現れて、彼に再び小宇宙を燃やさせ、封印していた巨大な力を解き放たせてくれる時が来るんじゃないか……現実世界の僕たちも、心のどこかでそんな救いを期待しているのかもしれませんね。
