角にある駄菓子屋、それは私の子供時代の「精神と時の部屋」
誰の子供時代の地図にも、一軒の神秘的な店が存在する。それを定義するのは難しい。駄菓子屋であり、雑貨屋であり、文房具屋でもある。実家の角にあった、20坪ほどのその小さな店は、まさにそんな存在だった。それはまるでミニ版のホームセンター、あるいはドン・キホーテのように、奇跡と誘惑が詰まった「結界」だったのだ。
その結界の中で最も目立つ棚で、私は「それ」に出会った――『ロボット筆箱』(子供の頃はそう呼んでいた)。それはフニャフニャしたペンケースでもなければ、単純な缶の筆箱でもない。複雑な構造を持ち、キラキラと輝くプラスチックの要塞だ。その瞬間、私は悟った。私の貧相な文房具コレクションには、統治する「王」が必要なのだと。

半分の攻略法:作戦コード「おばあちゃん、大好き」
伝説級の装備を発見した。次のクエストは、それを「入手」することだ。最初の攻略対象は、我が家の財務大臣――お母さんだ。私は生涯かけて学んだスキルを総動員し、泣き落とし、駄々をこね、あらゆる手段を使ったが……結果は「家にあるでしょ?」という冷ややかな一言。作戦は失敗に終わった。
システムログが流れる。「メインクエスト失敗。シナリオを進めるにはサブクエストの探索が必要です」。そこで私は予備プランを起動し、私の人生における最強のサポートNPC――おばあちゃんを見つけ出した。
今の私の半分は、子供の頃の自分を「なんてあざとい奴だ」と思っている。だが、もう半分の私は、当時の自分の戦術的頭脳に感心している。おばあちゃん相手に複雑な攻略は不要だ。必要なのはたった一つのS級アルティメットスキル、「おばあちゃん、大好き~♡」これだけだ。溺愛される孫という立場をフル活用し、私はこうして悪びれもせず、いとも簡単にそのプラスチックの要塞を我が家へと迎え入れたのだった。
半分の裏切り:私の限定版装備が、量産品に変わった時
あの筆箱は、まさに文房具界のトランスフォーマーだった。ボタンを押せば消しゴム用の小さな引き出しが飛び出し、別のボタンを押せば鉛筆削りがせり上がってくる。ギミック満載のその姿はまるで秘密基地だ。鉛筆、定規、修正テープを分類して収納するだけで、世界を支配したような快感があった。
翌日学校に持って行くと、私はクラスで一番の「イケてる奴」になった。休み時間には私の席の周りに人だかりができ、同級生たちの目は羨望と畏敬に満ちていた。その瞬間、私はただの小学生ではない。「文房具の王」になったのだ!
もはや「先生、こんにちは」ではない。授業の号令も、起立、気をつけ、礼、「文房具の王様、こんにちは」に変わった(ような気がした)。
ついにまた記事を書いてて頭おかしくなったか。

だが、私の王朝は非常に短命だった。わずか一週間後、親友が全く同じロボット筆箱を持って登校してきたのだ。その瞬間、私は裏切られたと感じた。私の専属感、特別感は一瞬にして消え失せた。半分は、友達とお揃いの装備を持てて嬉しいと思ったが、もう半分の心には一つの念しか浮かばなかった。「お前と『キャラ被り』なんてしたくないんだよ!」。そう、子供の頃の私は、それほどまでに浅はかで幼稚だったのだ。
そして間もなく、その筆箱は「お蔵入り」となり、もとの古びた缶の筆箱――あの唯一無二の筆箱へと戻された。

そんなに小さい頃からツンデレ属性を養っていたのか。
大人になって分かったこと:捨てたのは、ただの筆箱じゃなかった
この記事を書きながら、ふと考えてみた。かつて宝物のように扱い、それなのに簡単に捨ててしまったあの筆箱は、一体何を象徴していたのか、あるいは私に何を教えてくれたのか?
思うに、私が学んだ最初のことは、私たちが「特別」や「ユニーク」を追い求める心は、決して変わらないということだ。子供の頃、私たちは筆箱が友達と被るのを恐れた。大人になれば、服や靴が被るのを恐れる。自分のプレイリスト、観る映画、追うドラマが、アルゴリズムのおすすめと全く同じになることを恐れる。より高価で、よりニッチなブランド、よりマイナーな映画で、自分の特別さを証明しようとする。あの子供時代の虚栄心は、ただ形を変え、より高価なものになっただけなのだ。
同時に、こんなことも分かった。子供の頃の幸せは脆く、他人が持てば、すぐにいらなくなるようなものだった。だが、大人になってからの幸せは貴重だ。たとえ世界中の人が持っていたとしても、私はただ強く握りしめて離したくないと思う。あの筆箱はとっくに何処かの次元のゴミ捨て場に行ってしまっただろう。けれど、おばあちゃんの「あなたが楽しければそれでいい」という愛は、おばあちゃんが亡くなった後、二度と手に入らなくなってしまった。だからこそ、心のずっと奥、一番大切なポケットにしまい込んでいるのだ。
ありがとう、私の短き文房具の王よ
今振り返れば、あのロボット筆箱は、私の子供時代の通りすがりの客のようなものだった。それは一時的に私に虚栄心と喜びを与え、そして私の幼稚さを教えてくれた。それはおもちゃであり、道具であり、成長についてのメタファーでもあった。ありがとう、私の文房具の王よ。私はあっさりと君を裏切ってしまったけれど。
